不妊について

不妊体験談「ふぁいん・すたいる」

キャリアをあきらめて、探した自分の居場所。カウンセラーとして、仕事と治療の両立を支援。
堀田敬子さん・公認心理師

プロフィール大阪で営業職をしていた27歳のとき、25歳の夫と社内結婚。30歳で不妊治療開始。35歳で流産を機に退職。人工授精14回、体外受精・顕微授精12回、40歳で治療終了。夫の転勤で東京、沖縄、福岡、大阪、福岡と転居。2011年、カウンセリングルーム「with(ウィズ)」開設。妊活・不妊相談、個別・グループカウンセリング等を行なう。不妊治療終結のメソッドを独自開発、治療のやめどきのサポートにも注力。

流産を機に退職。仕事を辞めたことを後悔

総合職として出版関係の企業に入社し、営業の実績を積み、やり甲斐を感じていました。27歳のときに社内結婚し、子どもができたら産休・育休をとって、仕事と育児を両立するつもりでした。
婦人科の病気が見つかり手術をするなど、休みながら5年間、通院しました。人工授精の日は、夫も私もいつもより早く起きて、私は8時にクリニックに到着。精液の調整の時間が読めず、長いときは2時間待ったことも。人工授精自体は10分ほどで終わり、少し休んでからクリニックを出て、午前中に1件、客先を訪問することができました。仕事は個人の裁量に任されていたので、通院しやすい環境でした。ただ、体外受精を考えたとき、通院日が増えたり、通院日自体が先に決められなかったり、休まなければならない日がでてくるなど、これまでのように「仕事の合間にはできない」と思いました。
35歳のとき、自然妊娠しました。その頃は出張続きで体がきつく、「こんな状態は赤ちゃんに良くない。この先、仕事を続けられるかな。辞めるのもありかな」と頭をよぎりました。結局流産となり、「仕事がなかったら妊娠を継続できたのでは」と仕事を恨めしく思ったり、休まなかった自分を責めたりしました。「仕事を一生懸命しすぎると妊娠しないよ」と周りから言われていた言葉が、自分のこととして身に迫りました。
「次に妊娠したら……」と考えて、これを機に退職することに。当時、私は同期仲間の中では出世が早く、課長代理になっていました。女性総合職の先駆けとして頑張ってきた自分が好きだったのですが、流産したことで私の中の「仕事と子ども」の優先順位が変わりました。「仕事はまたできるけど、出産には年齢の限界がある」と自分を納得させました。また、そのときは「すぐに妊娠・出産して仕事に戻れる。多少のブランクはなんとかなる」と思っていたのです。まさか治療が長引いて、二度と同じような環境で仕事ができないとは思ってもいませんでした。
不妊治療専門クリニックで体外受精にトライしたものの、なかなか妊娠しません。この頃の私は「結果の出ない不妊治療」をしている人。仕事を辞めた私は「母親になること」でしか、地域や社会に居場所を作れないと思っていました。キャリアを中断して選んだ不妊治療、「子どもを授かること」が成功だと思って治療に向かい、自分を追い詰めていました。退職から1年、仕事の大切さをあらためて感じて、辞めたことを後悔し始めていました。

転勤と就職。カウンセラーの道へ

夫の転勤で東京から沖縄へ。仕事を見つけ、半年ほどして通院を開始しました。3回目の体外受精のとき、採卵時の炎症が原因で入院しました。体を休めていると体調がよく、治療を休むことを意識しました。その頃、友人が「子どもがいてもいなくても、母親であってもなくても、私たちの関係は何も変わらないよ」と声をかけてくれました。何者でもない私を「あなたのままでいい」と認めてくれる人が、ちゃんといたのです。また、職場や地域の人たちとも楽しく過ごしていたので、子どもがいなくても自分の居場所があると感じました。40歳、いつしか治療よりも仕事のことを考えるようになり、通院が間遠になってきました。
福岡県へ転勤になり、本腰を入れて仕事を探そうとハローワークに行くと、「その年齢では仕事が選べない」と言われショックを受けました。それでもなんとか就職し、充実した日々でしたが、1年半を待たずに夫が大阪へ転勤。以前から気になっていた心理学を大阪で学び始め、「私が一番つらかったのは不妊治療、寄り添いたいのは不妊体験者」と気がついて、カウンセラーとして活動を始めました。2011年にホームページを開設、大阪では自分のルームで相談を受け、男女共同参画センターの女性相談、大阪府警の犯罪被害者カウンセリングなども担当しました。

多くの人が抱える「申し訳ない」という気持ち

カウンセラーとして妊活中の方から相談を受けて10年近く、仕事と不妊治療の両立は、変わらないテーマです。以前は「職場に不妊治療していることを言うかどうか」で悩む人が多かったのが、最近はすでに職場に伝えていて「どこまで両立できるか」と悩む人が多いです。伝えたがゆえにプレッシャーも感じていて、ほとんどの方が「周りに申し訳ない」と言います。仕事を調整してもらっている申し訳なさ、そして、治療を応援してくれているのにそれに応えられない申し訳なさ。職場に話したことで、さらに別な負担を負っているのです。一方で、「思い切り仕事ができない」というジレンマも多くの方が感じること。30代で役職が上がって部下もいて、「もっと仕事をしたいのに治療を優先して思い切り仕事ができない」「年齢的に今は治療しなくてはいけないと分かっているけれど、仕事もしたい」と、行き場のない思いを抱える人は多いのです。また、これから治療を考えている人からは「どう両立したらいいか」という相談も。そんなときには、職場の環境を聞き、できることを一緒に探していきます。例えば、普段から休暇が取りやすい、上司が不妊治療について知識や理解があるなど、職場の環境が整っていると、当事者は治療について言い出しやすく、少しは気持ちがラクになると思います。

同じ働き方ができないのは仕方がないこと

個人の状況によって違いますが、退職して不妊治療だけになると精神的に自分を追い詰めてしまうことが多いため、「仕事はなるべく辞めないほうがいい」と話しています。まじめな人ほど、少しでも職場に迷惑をかけたり、今の働き方ができなかったりすると「辞めたほうがいいのではないか」と考えて、自分を責めてしまいがちです。でも、今の時期だけの仕方がないこととして受け止めてみてはどうでしょう。また例えば、営業職から内勤にしてもらうなど、治療をしている間は働き方を変えることを考えてもいいのでは。仕事を続けたほうが、治療だけになるよりも精神的なバランスが保てる場合もあります。
長い目で見たら、妊活できるのは限られた時間です。それもあって、治療はいつまでするのか、区切りをつけたほうがいいでしょう。何回、何年など、ある程度の期間を決めておくと、「そこまでは周りに迷惑をかけてしまうけど、それが終わったらフルで働く」などと考えられます。 少し抵抗を感じる方もいるかもしれませんが、不妊治療中もこれまでと同じように働くのは無理だと認めて、受け入れる。今までの生活が10だとしたら、そこに「不妊治療」という新しいチャレンジを加えるのだから、10の中で何かを少し抑える必要も出てくるでしょう。自分一人では限界があると思うときは、じゃあ他の人の力を借りて調整してみよう、と新しい動きも必要になるでしょう。
それから、不妊治療は仕事や勉強と違って、費やした努力が結果に結びつくとは限りません。当事者は、そのことにも虚しさや無力感を感じることがあります。さまざまな思いを抱えて治療にあたっていることを職場や社会に知っていただくことで、当事者が職場で仕事と治療の両立について相談しやすくなることを願っています。

(取材・文/高井紀子)

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