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「第25回ヨーロッパ生殖医学会(ESHRE)口頭発表(準備?)レポート」 「Fineの声が世界に届いた日」
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Fine会報誌 2009年秋号(vol.21) より
今日ちゃん
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突然ですがみなさん「学会」って、行ったことありますか?
いやホントに唐突ですみません。
たぶん、ふつーに患者してれば「学会? ええ、よく行きます〜」なんて人は少ないのじゃないでしょうか。自慢じゃないけど不肖ワタクシ、Fineに入るまで、ガッカイなんて、とんと無縁の人生を送っていました。特に医学会なんて雲の上もいいとこ。もうほとんど芸能界を見るに等しい、まるで「ブラウン管の向こう側」感覚だったんです。
「医学会」それは「お医者サマたちの世界」。とにかくお偉いドクターたちや看護師さん、学者さん、技術者さんやらが集まって、新しい医療技術や薬や治療方法なんかを発表したりするところなんだろうなぁって。きっと、その場にいても、チンプンカンプンでなーんにもわからないんだろうなぁって。
まさかそんな私が「不妊」に出会って「Fine」に出会って、その「学会」とやらで「講演(発表)」をする日がこようとは、いやはや数年前まで夢にも思わないコトでしたことよ。
しかも今回はなんとっ!!!!!
ESHRE(エシュレ…European
Society of Human Reproduction and Embryology=ヨーロッパ生殖医学会)の第25回学術集会のMain
Scientific
ProgramのスピーカーにFineが選ばれ、発表してきたんです!
……なーんて、横文字並べられたって、ピンとこないですよね。
そりゃそうだ。私もそうだった。なのでちょっとご説明。
不妊に関する学会は国内外に多数ありますが、国際的なものでは二大学会と呼ばれるとても大規模なものがあります。ひとつは毎年アメリカで開催されるASRM(American
Society for Reproductive
Medicine)。そしてもうひとつが毎年ヨーロッパで開催される、この『ESHRE』です。世界中の生殖医療関係者が一堂に会するこの学会。ここで、たとえポスター発表でも演題が採択され発表できるのは非常に名誉なことだと、以前あるドクターがおっしゃっていました。他でもそんな話は多数聞いていたので、そのハードルの高さは以前から知っていましたが、なんせこれまで「超・ヒトゴト」だったので「へー、そうなんですかぁ」ぐらいで、あんまり真剣に考えていませんでした。
まさかそこで自分が発表することになるなんて、アンビリーバボー。
が、しかし「かっこいい〜♪」というよりも、いつも通り(というか、むしろ今までで一番の?)バッタバタの珍道中になってしまったわけなのです。とほほ。だから胸張って報告するというわけでもなく、イマイチ冴えないレポですが、せっかくの稀有の機会なので「今だから話せる・笑える」裏事情含め、皆さんにご報告しますね!
■「ESHRE」で発表できるかも?!
そもそもこのチャンスの話が持ち上がったのは、実は1年も前のこと。オーストラリアの『ACCESS』という患者団体の代表であり、iCSi(=イクシー:国際不妊患者団体連合)の代表も務めるサンドラから、iCSiの仲間たちのところにメールが回ってきたのです。いわく
「ESHREで今年、患者部門のセッション(会議・発表)が開かれ、予想以上の大好評だったので、来年も開かれることになりました。発表する患者団体を募集しています。希望者は下記の要領で書類を揃え、応募してください」
「ESHREで発表? これはたぶん、とってもすごいことだ!」と、思いながらも「きっと無理だろうなぁ〜」の気持ちが先に立ってしまい、最初は応募する気はありませんでした。だって、応募するには演題・内容を決め、大まかな起承転結を盛り込んだ発表内容のあらすじを作成しなきゃいけません。それを英語で作成する手間ヒマと採択される勝率を考えると、とてもそんな賭けには出られない。うちみたいな小さな団体にとって、その労力はすっごく大きいことですもん。時間の無駄だと思ったのです。
でも、サンドラの強い推薦がありました。彼女は日ごろから私たちFineの活動をとても評価してくれているんです。彼女は言いました。「アキコ、Fineの活動はもっとグローバルに知られるべきよ」。
その言葉に私はハッとしました。
「そうだ。確かに、日本の不妊環境の現状、そしてそれを改善すべく、スタッフはじめFineのみんなが、周囲と協力しながらすごく頑張って活動していること。それを日本だけではなく世界中の、しかも患者団体だけじゃなくて医療者をはじめ幅広い人たちに知ってもらうことができたら、どんなに素晴らしいだろう? それはきっとみんなの励みになるし、iCSiの仲間たちの力にもつながるだろう。私たちがiCSiのみんなからエネルギーをもらっているように、世界中の仲間たちにもFineのエネルギーを伝えられたらすごく嬉しい! サンドラの言うとおり、ぜひ世界の人たちにも広く知ってもらいたい!」
そこで私はFineの活動の中から大きな二つを選び、それをテーマに2種類の演題をまとめて応募しました。
期待しないで待つこと数カ月。もうすっかり忘れそうになっていたころ、サンドラから「アキコ、おめでとう! あなたの演題、採択されたわよ!」という連絡をもらったのです。
「ええ〜!?」 かなりびっくり。
時間も経っていたし、てっきりダメだったんだろうなと思っていたのに、なんとなんと「採択された!?」
うっそー。ほんとに?! じゃ、FineがESHREで発表できるの? うひゃー、すごいかもっ。今度のESHREってどこだっけ。えっ、アムステルダム? それってどこ? ああ、オランダじゃん。ハウステンボスじゃん!(違います)長崎にもあるよ。なじみ深いじゃん!(だから違うって)
ちょっととっちらかりながら、その短いメールを何度も何度も読み返し「まさか、ドッキリじゃないよねぇ」と、翻訳メンバーのニカちゃんとメールを交わしたことが、つい昨日のことのようです。
と、ここまで書けばなんとなくこのまま「感動サクセスストーリー」ちっく。
が、そうスムーズにはいかないのが国際学会の醍醐味(!?)なわけなんですね。
なぜか?
私たちはその「発表決定しました」という知らせをもらってから、なんとその後、数カ月なーんの連絡もなく、年を越したのであります。
■「ESHRE」からの連絡が来ない…
連絡窓口を担当してくれていたのは、最初はサンドラだったのですが、彼女が多忙になったため「ESHREの事務局の人と交代したので、事務局から連絡があるはずだからよろしくね」と言われて数カ月、その後何の連絡もない。
私はすっかり「??」状態。
とにかく「合格」の正式なおふれ(?)がないので、このまま待っていていいのか、それとも何らかのアクションをこちらから起こすべきなのか、そもそもほんとに「合格」なのか、いまいち不安だったわけです。
しかし、こちらから連絡しようにも、その「連絡すべき人」がわからない。多忙ゆえに外れたサンドラを、これ以上煩わせたくもない。
「もう少し待てば連絡があるのかなぁ…。…この話はなくなったのかなぁ。…あれは夢だったのかなぁ…」と、半ば本気で考えるようになっていました。
実は、この時点ではまだ私は、ESHREのことはFineのスタッフにも言っていなかったのです。だから、スタッフみんなもこの原稿を読んで、初めてこんな裏事情を知ったわけで、おそらくびっくりしているはずです(笑)。
私は「ESHREから正式な文書が来てからじゃないと、確定とはいえない。変にみんなに期待させて、万が一なくなっちゃってがっかりさせたらいけないな」と思ってたんですね。だから連絡が来るまで、報告を待とうと思っていたんです。これが日本の学会なら、もちろんそんなことは考えなくて、話をいただいた時点で即スタッフに伝えるのですが、欧州って、なんとなーく、その「万が一」が、ありえるありえる、ウルトラありえーるって感じなんですよね〜。なので、「まだ言わないほうがいいかな」って思ってたわけなんです。
年末になっても何の連絡もなかった時、私は「ああよかった〜、誰にも言わないでおいて」と、心底思いました。
あの話はきっとなくなったに違いない。そもそもまだ新設5年ぽっちの弱小患者団体が、ESHREなんていう大きな国際学会で発表できるなんてこと自体、ずうずうしい話だったんですもん。外部の人にはおろかスタッフにすらも言わないでいた自分を「えらいぞ! 珍しく用心深いぞ!」とひそかに褒めていました。
「もうこの話は忘れよう」と、私はこの時点で、ほぼあきらめていました。
そして年明け。ある会議で偶然会ったiCSi幹部の一人、ぺトラに
「あれ〜久しぶり〜。元気? あ、そうだ。そういえばFineのESHREでの発表って、なくなったんだよね? もしかして、このこと何か知ってる?」と、ダメもとで訊いてみたら
「えっ、まだ何も連絡来てないの? なくなってないわよ。あると思うわよ。そのうち連絡来ると思うわ」って彼女は言うのです。
私は驚きながらもまだ「半信半疑」。(えーっ? ほんとにあるの? いやペトラを疑うわけじゃないけど、しかしこんなにも何も連絡がなくて大丈夫なんだろうか。きっといろんな手続きとかもあるだろうし、そもそも私、発表の詳細を送らなくちゃいけないんだろうし。
うわー、ほんとにあるのなら、誰か早く連絡ちょうだい〜)と、誰に言えばいいのかわからない焦りとぼやきを胸に秘めていたのです。
しかし案の定、その後も、誰からもなーんの連絡もなく月日は流れ、3月も終わり4月に入り、桜もすっかり散り、もう学会まで2カ月ちょっとになったある日。私はふっと思い立って「まさかねぇ…」と思いながら、念のためにサンドラに最終確認のつもりでメールを送ってみました。
「忙しいとこごめんね。あのね、まだESHREから何の連絡もないのだけれど、私たちの発表はなくなったってことよね?」
すると彼女から驚いた様子のメールが。
「アキコ、まだ誰からも何の連絡もないの? うそでしょ? すぐに確認するからちょっと待ってて!」と。
んっ? てことは何? もしかして……発表、あるの??
えーーっ、そんな〜〜!! もう絶対に「ない」と思ってたから、なんにも用意してないんですけどー(叫び)
■やっぱり「発表」はあった!
なんとなんと、発表は「あった」のです。
しかも驚きをすでに通り越して半ばあきれてしまうことに、私の発表はもう日時もタイトルも「ESHREのウェブサイトに掲載されていた」のです。ついこの前までなにも載ってなかったのに、いったいいつ更新されたんだろう?
ぜんぜん気がつきませんでした。そりゃ毎日チェックしてない私もいけないかもしれないけど……。ひえー、でも、こんなのってアリ?(驚愕)
やっと連絡が取れた事務局の人とのその後のやり取りで、どうやら事務局が2月ごろに私に送ってくれたというメールが、迷惑メールとしてサーバーでひっかかったらしく、私の手元に届いていなかったことが判明。
もう、その時の私ったら焦ったのなんのって!
「あのえっと、あのタイトルって、まだ仮題だったんですけど・・・。えっ、もう変えられない? そこを何とか…はぁ、ダメ…(ため息)。 あの、発表の抄録(発表内容を簡単にまとめた「あらすじ」集のようなもの)とか、事前に書いて送らなくていいんですか? えっ、とっくに締切過ぎてる? 明日提出してくれ? そ、それはちょっと…(大汗)。会議の申し込み、ホテルの手配。えっもう間に合わないところがある? どひゃー(パニック)」
何がすごいって、相手の事務局の方は、何一つ、まったく、ぜんぜん焦ってないってところが一番すごい(笑い)
(私はちっとも笑えない)。というか、そんなに重要な手続き一式のメールを送ったのに、その後、先方から何の返信もなく2カ月過ぎていたら、ふつう「先日のメール届いてますか?」って確認のメールとかくれたりしないのかしら? とか、思いません?
……チッチッチッ。くれないんですねぇ、それが。
日本の常識は世界の常識ではないのだな、と、思い知るのはこんな時です。いやー恐るべし欧州(?)。
それからESHREの発表に向けての、まさに怒涛の準備が始まりました。私はもう「ない」と思っていたので、ESHREの準備は私のスケジュールに一切入っていなかったんです。あんなすばらしい学会で発表できることは、もちろん嬉しいし誇らしいし、ほんっとにすごいことではあるのですが、今はそれに浸ってる余裕はナイ! それからの日々、それこそ徹夜になってしまうことも多々ありました。1年前からあった話なのに、なんでまたこんなにも直前になって、こんな目に。とほほ……。
■そして果てしない「スライド直し」が始まった!
指定されたもろもろの提出書類を作成し、英訳し、あれやこれやの渡航の手配や準備が整い、なんとかかんとか発表スライドも仕上げたときにはもう出発。荷造りを終えて飛行機に乗った瞬間には、もうすっかり学会が終わった気分です。
イヤ違うっ。これからが本番! というわけで、飛行機の中で「やっと」発表スライドの最終直しと英語の発音の確認・練習です。これまでその時間が、全く持てなかったのです。いつもながらの移動時間&現地勝負。この後発表までの間、気分は毎日が「8月31日の小学生」。うー、昨年のブダペストの悪夢がよみがえる…(涙)。あれで懲りたハズだったのに。もう二度と同じ轍は踏むまいと誓ったハズなのに。いやはや、世の中うまくいかないものなのですね。
しかし今回のスライド変更はちょっと深刻でした。
というのも、当初(1年前・笑)20分と聞いていたはずの発表時間。それに合わせて作っていたのだけれど、渡航前日に落ち着いてESHREのウェブサイトを見て発見。1時間に4人発表するように‘見える’ではありませんか。
……んっ? てことは計算すると、一人「15分」じゃない? 誰もそんなこと何にも言ってくれなかったけど……(大汗)。
他力本願のニホンジンではこの世界はやっていかれないのだということは、もういい加減学習した私。成田で落ち合った同行のニカちゃんにこの状況を説明すると「うわ、それじゃ、きっと発表は15分間なのかもっ」ということになりなんと5分間分を削らなきゃいけなくなってしまったのです!
50分の5分を削るのと、20分の5分を削るのじゃー、わけが違う! どこをどう削ればいいの? もともと言いたいことはたくさんある中で、ギュッとエッセンスをまとめての、このスライドなのに〜〜!!(涙)
と、ぼやいていてもしょうがない。とにかくやらなきゃいけません。しかしこれが一人じゃできません。日本語だけなら私ひとりでどうにでもなるものの、まず日本語を削って英語を考えなくっちゃいけない。ここでどうしてもサポートが必要。すまんニカちゃん、付き合ってくれ。結局、日本からの飛行時間約11時間半。私たちは一睡もすることなく、ひたすらスライドを変更し、時間を計り、また削り、時間を計り、と、やっていったのでした。機内でのバージョンアップの数、なんと11回! いっときも気の休まらない、ガチンコ勝負の機上でありました。
それにしても英語での発表はほんとにシンドイです。ちょっとでも単語を言い直そうもんなら、そこでもう時間が気になってしまって、焦ってしまいます。一回も言い間違っちゃいけないうえに、アクセントを間違えると意味が通じません。日本語ではありえないプレッシャー。もうイヤだ〜!(涙)。それでもどうにかこうにか、14分半程度で話せるようにはなり、あとは発音の練習をさらに重ねて…という段階になって、はたまたモンダイが!
なんと、現地入りして学会会場で確認したところ、質疑応答を「含めて」15分だとサラリと言われてしまったのです!!
「ええっ! 質疑応答があるの!? 聞いてないよ〜〜(パニック)。そしたら、これをさらに削って発表を短くしなくちゃってこと? しかも質疑応答って…(一気にブルー)」。私の発表は二日後。ああ、二日間の猶予があってよかった…。またまたホテルに缶詰めでスライドと格闘の日々となりました。
もうほとんど徹夜状態。何でもいいから、早く発表が終わってちょうだい〜!という感じです。
■そしてやっとこさ「発表」の日
そんなこんなで迎えた発表の日。私の発表は午後の2時からでした。
その日は朝からもう、ご飯がのどを…例によってたくさん通りましたが、まぁ生きた心地のしないほど、緊張しまくっていた朝でした。
私はふだん、そんなに緊張しないほうなので、これはとても珍しいことです。緊張というよりも不安の要素の方が大きかったのかな、と今では思います。
そもそも会場があまりにも大きかったんです! てっきり患者の発表のセッション会場なんて小さな会議室だと思っていたのに、ぜんぜん違う…天井が高いし、広いし……(めまい)。そしてここは「医療者」の学会。去年のiCSiでの発表と違って、患者だけの国際会議ではない、ということ。思えばこれがことさら、私の気持ちを落ち着かせなかったのでしょう。
はたして私の発表は、ちゃんと受け入れられるのだろうか。内容はきちんと伝えられるだろうか。こんなにもいいシステムで、いい発表内容なのに、私の力不足でそれが通じなかったら……?
「Fineを背負う」その重責を、久しぶりに実感していました。
さらに今回の発表内容は、Fineが行なっているJISART施設認定審査について、です。この日本初の画期的なシステムが、国際会議という場でどう評価されるのか、それがこの12分あまりの短い発表にかかっているともいえるのです。
Fineのことだけではないという二重の責任。そのmissionの重たさを、私はあらためてかみしめていたのかもしれません。
学会会場は、東京ビッグサイトが3つは入りそうな大規模な国際会議場。私たちの発表会場はその中央の塔の一番奥でした。
まだ、前のセッションが終わっていないため、少し裏に入った通路で待ちます。その間も私は原稿を握りしめ、単語をブツブツ。あー、緊張してきた。
そして発表のセッションが始まる、まさに会場入り数分前、私の携帯が鳴りました。はじかれたように受話器をとると、体の芯に力がぐっと入りました。
大きな深呼吸をひとつして、発表会場へ向かいます。
入り口に行くと、なんとそこにはたくさんのiCSiの仲間たちが! カチコチだった気持ちが一瞬にしてふっと緩みました。久しぶりの顔ばかり。みんないつもの笑顔です。口々に「がんばって!」「きっと成功するわ。落ち着いて」と励ましてくれます。そして「アキコ、何があっても大丈夫よ。私たちみんながここにいるからね!」と、一番前に陣取って、満面の笑みで背中を押してくれました。胸が熱くなります。
さらに会場に入ると、応援に来てくれた日本人のドクターやナース、スタッフの皆さんの姿も見えます。皆さんがにっこり微笑んだり、声をかけてくれたりします。ああ、ありがたいなぁ。鼻の奥がツンとしました。
「Fineはこんな風にたくさんの人に支えてもらって、今日があるのだ」と、心の底から私は実感していました。
そうだ、ここまで来たら、やるっきゃない! とにかくベストを尽くすのみ。
一人目の発表が終わり、私の番が来ました。
サンドラが私を紹介してくれます。
くしゃくしゃになった原稿を握りしめ、階段を上りました。
私の発表は「医療の質向上のために〜患者と医療者の協働〜」をテーマに、患者満足度の向上を目的として実施されている「JISART施設認定審査」と、それに「患者審査委員」として参加しているFineの役割と意義について。このような「医療の質向上のための医療者と患者の協働」は、今後の生殖医療において非常に重要であると評価され、今回の発表につながったのだそうです。
(発表内容はウェブサイトに抄録を掲載しているので、ぜひご覧ください)
嬉しかったのは、私たちの発表が、質疑応答が一番多かったこと。知り合いのドクターだけでなく、全然知らない地元オランダのナースが患者グループインタビューについて質問をしてくれたり、さらに驚いたことに発表が終わってからも、UKやイタリアのドクター、カナダのエンブリオロジストなど、たくさんの人がこの発表に興味を持ってくれ、声をかけてくれたのです!!
正直、私はこんなにも多数の人に受け入れられるとは、想像していませんでした。ホッとしたのと、驚いたのと、うれしいのとで、名刺交換をしながら、もうちょっとした興奮状態。
それにしても笑ってしまったのは、発表が終わってから、iCSiのみんなが「アキコ、何を言ってるか、ちゃんと全部わかったわよ!」「あなたの英語、カンペキよ!」とか口々に言ってくれたこと(笑)。
私が「英語がわかってもらえなかったらどうしよう〜」と、さんざん心配していたので、みんな内容よりも先に、まずその点をフィードバックしてくれたのでした。もうおかしいやら嬉しいやら。やさしいなぁ、みんな。
さすがにその日のランチはまだだったので、終わってから近くのカフェで、やっと落ち着いて食事をとりました。その時のビールのおいしかったこと! いやー本当にホッとしました。
ようやく枕を高くして眠れた次の日は、もう学会の最終日。
私たちはカウンセリングのセッションなどに参加し、その後、展示会場でランチをとっていました。すると、とってもかわいらしい女の子が、ニコニコしてこちらに近づいてきます。しかしどう見ても知らない人。
(んっ? 私…じゃないよね? 誰か他の日本人と間違ってるのかな?)と思ったら、彼女はまっすぐ私の前に来て
「あなたの昨日の発表、とってもよかった! 感動したわ!」と、握手を求めてくれたんです。聞けばベルギーの助産師さんとか。
(うっそー!)あまりにもびっくり! びっくりを通り越して、もう「仰天」です。(昨日のことなのに、服だってもう違うのに。なんでわかったの? そもそもあの発表を聞いて、一番伝えたかったことをわかってくれたんだ!)
この感激はホント大きかったです。たとえ日本の学会だって、発表当日ではなくて後日にこんな風に声をかけてもらうなんてこと、滅多にありません。なんだかもうこれだけで、昨日までの1年間の苦労がすべて報われた気になりました。大げさでなくて、ほんとにウルウルものです。
「私たちのやっていることを、国際的にも認めてくれる人がちゃんといる。意義深いことだと言ってくれる人がいる。これからも頑張ってと、応援してくれる。そして、それが‘患者じゃない’」
そう、これがすごいこと!
私たちはこれまでいろんなことを「患者=仲間たち」に伝えることを一番に考えてきました。それはとても大切で、大きな使命だと思っていたからです。
でも、そうじゃなくて「患者以外」のたくさんの周囲の人々に伝えることも、やっぱり同じぐらい大切なのだ、と、改めて思い知った気がしました。それでこそきっと、本当の意味での「患者を含めたチーム医療」の実現ができ、「医療の質の向上」につながるんですよね。
そのためにもこうやって思い切ってチャレンジしたり外に出ることは、大きな意味を持つことなのだと、実感したのです。
ああ、そういえば、Fineのきっかけはまさにそれだったな。
懐かしく思いだしました。
私たちは当初、不妊に悩む仲間だけで集まっていろんな話をしていました。
「不妊ってつらいよね」「病院通いって大変だよね」「周りはわかってくれないよね」「治療ってお金かかるよね」「こないだこんなこと言われちゃったんだ」「ああ、それはキツイよね。わかる〜」などなど。
仲間同士で話せることは安心や共感でいっぱい。気持ちが救われます。
でも、
「ここで仲間同士だけで話をしていたって、世の中はちっとも変わらない」
「私たちには、わかってもらいたいことがあり、伝えたいところがある」
そんな思いに行き当たったのです。
一人ひとりの声は小さくて、どこにも届かないかもしれない。
でも、その声を集めれば、きっと大きな声になる。
そうやって大きくなった声なら、きっと聞いてくれる人がいるに違いない。
「だから、怖がらないで声を出してみよう」「みんなの声を、集めよう!」
そうやって、5年前、Fineは生まれたのです。
「初心忘るべからず」。大切な思いを、また新たにしました。
その意味でも私にとって、とても有意義な経験だったといえそうです。
1年間アタフタしてよかった〜(?) ESHREよ、ありがとう!
このESHREの発表については、帰国後も国内外から問い合わせやご連絡をいただいたりと、おかげさまで良い反響をいただいています。
これも普段のFineのスタッフはじめ、メンバーのみんなの力だなぁと、しみじみ思っています。
メンバー。つまり、これを読んでくれている会員の皆さんですよ♪ (^^)
私たちFineの活動のすべては、私たち、つまりあなたの声から始まっています。出発点はいつもそこ。そして到達点も、やっぱりそこなのです。
これからも、いつでも、私たちにいろんな声を寄せてくださいね!
そして、一緒に少しずつ、進んでいければいいなぁと思います。
あなたのいろんな声を、私たちはいつでも大歓迎で、待ってまーす。 |
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