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「不妊カウンセラー養成講座」講演 (2005年) |
Fine会報誌 2006年冬号(vol.6) より
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2005年10月8日、日本不妊カウンセラー学会主催「第17回不妊カウンセラー・体外受精コーディネーター養成講座」が開催されました。養成講座の内容は、「カウンセリングとケアの基礎」「生殖医療の基礎知識」「明日の生殖医療を学ぶ」、それに特別講演など。参加者は医師、不妊治療の看護師、エンブリオロジスト、臨床検査技師などの医療スタッフと、不妊当事者などで、それぞれの立場で不妊カップルをサポートするために、全国から集まっています。
Fineからは、不妊当事者の声を聞きたいという要望に応え、理事の理子さんが「不妊体験者を支援する会の活動を通して」、また、スタッフのルルさんが、「不妊当事者からのメッセージ−体験談」と題し、講演しました。質疑応答では、活発な意見が交わされ、参加者の関心の高さが伺えました。
今回はルルさんの発表を紹介します。
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「不妊当事者からのメッセージ−体験談」 |
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ルルさん |
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■私の不妊体験
私の不妊治療歴は、約10年になります。私にとっては、長い長い時間でした。その間に、私の中での不妊の問題もさまざまに変化しました。最初は、「もしかして不妊症なのかしら?」という戸惑いから始まり、原因不明だったことから「そのうちきっと妊娠するだろう」とのんきに構えていた頃もありました。また、思い出すと悔しくて涙がでそうなこともあったり、悲しかったこと、辛かったことなど、きりがありません。
そうした中で、まず一番強く感じたのは、とにかく「納得のいく治療が受けたい」ということでした。なぜかというと、私は夫が転勤の多い仕事だったためかかった病院が両手を超えるほどになり、転院のたびに、病院によって、医師によって、治療法が違ったり、言われることが違ったりということが何度もあったからです。一体どれが正しいのか、私にとっての最良の治療はどれなのかわからなくなってしまった時期がありました。そして、医師にお任せではいけないと思いました。自分で考えて、自分が選んだ治療なら、結果にも納得ができるし、それでダメなら諦めもつくと思いました。
しかし、現実は思った通りにはいかないことも多くとても難しいことでした。
私はかつて、不妊患者の間ではとても有名で、来院患者数も大変多いクリニックに行ったことがあります。体外受精を4回ほど行なっても、思うように結果がでず、40歳が目前という時でした。治療法を自分なりに吟味して、もう私に残された選択肢は、このクリニックしかないのではと考えに考えた末、すがるような思いで通い始めたのです。患者数が多いので、待ち時間が2時間、3時間は当たり前という状況の中での通院です。クリニックに行く日は、ひたすら忍耐でした。そうして、スケジュールにしたがい採卵に向けて治療が進行している最中に、採血の結果を見た医師からいきなり「こんな値では、もう閉経している!」と言われたことがありました。一体わが身に何が起こったのか、どういう状況なのかの説明もなく、ただ呆然として「そんな、バカな〜」と思っても、返す言葉もなく、涙ながらに帰宅しました。その衝撃も癒えない中で、医師の指示で仕方なく翌週受診すると、何と今度は「卵胞があるから採卵する」と言われました。またしても、ビックリです。良かったとはとても思えませんでした。むしろ、こんな状態で採卵するなんて納得できないので、採卵はしたくないと思いました。改めて心と体調を整えてから、しかるべき時に体外受精をやりたいことを医師に訴えたのですが、聞き入れてもらえず非常に困り果てました。なぜ患者の気持ちを考えてくれないのかな、妊娠さえすればそれですべてが帳消しになるのか…、妊娠するという保証もないのにという悔しさと、やりきれない思いに居ても立ってもいられませんでした。
しかし、長い治療期間の中では、このような医師ばかりではなく、患者の痛みや辛さを感じようとする、素晴らしい医師との出会いもありました。患者の心を思いやり、「しんどいやろー」という一言にどれだけ救われ、「ああこの医師は、患者の気持ちを理解しようとしてくれているんだ」ということが伝わってきて、凍りついた心が溶けていくようなホッとした気持ちになりました。また、初めての体外受精は、誰でもとても不安なものです。そんな時、私の心細い思いを察してか、介添えの看護師さんが言葉はなくとも私の手に、そっと手を添えてくれたのが、とってもありがたく記憶に残っています。
そうした経験の中から、私にとって納得、満足のいく治療とは「一人一人の患者のことを大切にして、その個人にとって何が良いかを考えてくれる治療」なんだと心から思いました。ただしこれは、あくまでも私にとっての優先事項で気持ちより結果がすべてだと考える患者さんもいるかもしれません。不妊治療は、まだまだ医師でも説明のつかない、わからないこともあると思います。
年齢別妊娠率など、データに基づいた説明やその数字をはっきり公表したり、治療に伴うリスクや薬の副作用などの説明などは、当然必要なことだと思います。しかしそれだけではない、「患者の気持ちの部分にも応えてくれる医療」つまりそれは医師だけではなく、看護師さんをはじめ、医療従事者である他のスタッフすべての人たちに、心のこもったサポートをしてもらえたら、たとえ良い結果に結びつかなくても、決して治療は無駄ではなかったと思えるのではないでしょうか。患者を一人の人間として尊重した治療というものへの配慮をサポートという形で望みたいということなのです。
■患者が医療施設を選ぶためには
ところで、患者が納得のいく治療を受けるためには、まず病院選びをしなければなりません。現在日本では、体外受精などの高度生殖補助医療技術を受けられる施設が650以上もあると聞いています。患者にとって、その中から自分の希望にあった施設を選ぶのは、とても大変なことです。だから、誰がみても公平な評価に基づいた、客観的な基準が欲しいと思いました。
医療技術や培養技術の水準については、それぞれの専門的立場の方の判断にゆだねるしかないと思いますが、患者からみた評価は、患者の目を経なければわからないこともあると思います。しかし、単なる口コミ情報では、主観に左右され、Aさんにとって良い病院、良い医師だとしても、それが私にとっても良いとは限りません。また医師だけが良くても、他のスタッフに問題があっては良い病院とは思えないでしょう。
私は、妊娠が目的なのだから、妊娠成績がまず何よりも大事だと思ったこともありました。単純に、少しでも妊娠率が高い病院にいけば、私の成功率も高まると思えました。しかし、いくらクリニック自体の妊娠率は高くても、結果が伴わないと、心が揺れます。本当にこの病院でいいのだろうかと。
まず、患者の視点としては、何よりも安全性が第一です。たとえば、体外受精の場合、大切な精子や卵子を体外にいったん取り出すのですから、間違いがあってはなりませんし、採卵は手術ですので大量の出血などの危険があります。安心して治療を受けるためには、さまざまな面で安全に配慮されていることが必要不可欠です。安全性を裏付けるのがスタッフの確かな技術であり、フェアな姿勢=誠実な態度や情報(データ)の開示になると思います。治療成績も大事ですが、排卵誘発のリスクや多胎についての説明、同意書の有無、プライバシーの保護と守秘義務の徹底などという基本的なことが、おざなりにされないことでも信頼性につながるのだと思います。
また、治療に伴う苦痛を和らげるためには、施設が快適な空間であることが望ましく、特に長時間待つことが多い待合室の雰囲気や、十分な椅子の数などの気遣い、プライベートな空間である採精室やリカバリールーム、トイレなどにも配慮が欲しいところです。
そして、不妊治療を「ジェットコースターに乗っているようだ」と例える人がいるように、とても気持ちの浮き沈みの激しい治療だと思います。ですから、メンタルケアを重要なことだと認識し、必要な時には、何らかのケアする手段を持っていて欲しいと願わずにはいられません。
このような患者としての視点を取り入れ、なおかつ今までは聞いてもらえず、それはしかたのないことだとあきらめていた患者の気持ち=患者の声を聞くことに着目して行なわれたのが、JISART生殖補助医療施設認定審査でした。日本でもこのようなことが実現すると初めてきいたときは、驚きでいっぱいでしたが、患者にとっては、非常に画期的なことだと大変嬉しくも思いました。この審査の中で、私たちFineがもっとも重要だと考えたのが、「患者意見交流会」です。これはその施設に通院している患者さんに集まってもらい、日頃施設に
対して感じていることや意見を率直に話してもらうものでした。それは、通院患者の意見を、施設のより一層の向上に反映させることを目的として行なわれたミーティングでした。患者の意見を尊重しようという施設の姿勢は、いかに施設が患者を大事にしているかということが分かり、患者満足度を高めるのに有効だったと思います。治療にも主体的・積極的に参加していこうという気持ちになった人も多く、ここに患者が審査に参加する意義があったと考えています。
■不妊当事者がのぞむこと
こうした不妊体験やFineの活動を通して、私が当事者として望むことは、なによりも治療環境の向上ということになると思います。不妊で何が辛いかと聞かれたとき、治療が辛いと答える人がたくさんいます。また周囲の無理解もうかがえました。治療環境には、当事者を取り巻く社会的な環境もあれば、医療事情もあります。また、パートナーや家族、職場、医療従事者などとの人間関係もあり、非常に多岐に渡っています。
環境の整備といったハードの部分は、例えばお金があればある程度物理的に解決が可能なことがたくさんあると思います。しかし、人間関係をはじめ、精神的なサポートなどのソフト面の充実は、いくらお金があっても難しいと思います。なぜなら、一人一人の意識の問題が大きく影響していると思うからです。ですが逆に考えれば、一人一人の気持ちによって、今日からでもすぐに、お金を必要とせずに変えられる部分だとは思いませんか? 人間関係の基本は、コミュニケーションだと思います。相互にコミュニケーションがとれて、初めて相互理解が生まれるのだと思います。いままで患者と医療従事者との間には、なかなか上手くコミュニケーションがとれず、患者は遠慮して言いたいこともいえない状況がありました。医療者から発せられた、たった一言の言葉が、深い傷になることもあり、また救いとなることもあります。人は、言葉だけでなく、その言葉がどのように表現され、どんな調子や口調、顔つきで言われたかまたその時の状況や雰囲気などでも受け止め方が違ってくると思います。言葉の重みと大切さに気づくとともに、言葉がなくても理解しようとする姿勢、寄り添う気持ちだけでも嬉しく、ありがたい時もあります。当たり前ですが、患者は、個人個人違います。感じ方、受け止め方もそれぞれに違いますが、自分という人間に真摯に向かい合ってくれる心は、必ずや誰にでも伝わるものではないでしょうか。
極端かもしれませんが、ハード面のことを患者全体に関わることと捉えるとしたら、ソフト面は、個々の患者一人一人に対するケアにつながることだと私は思いました。この2つの側面が、車の両輪のように回ってこそ、患者は安心して、納得して、前向きに治療に取り組むこともできるのではないでしょうか。
私は現在、治療はしていません。治療をやめるきっかけは、主治医から「これ以上治療を続けても妊娠の可能性がとても低い」という説明を受けたことによります。頭では医師のいうことが正しいと理解できるのですが、最初は気持ちがついていきませんでした。その一方で、患者に事実を伝える医師の姿勢は評価できるとも思いました。クリニックの治療水準を自分なりに、客観的に判断したとき、そのクリニックの技術をもってしても無理なのであれば、他に転院したところでこれ以上期待できないとも思い、やれるだけのことを、可能な限りの治療は行なったのだと、自分に言い聞かせたのでした。
■不妊治療その後
その後、自分の中ではあきらめたと思っていたのですが、生理不順の治療で訪ねた婦人科で、「まだあきらめるのは早いのでは」と言われた時は、正直、心が動き、揺れました。以前医師から「閉経している」と言われた一言が、ずっと私の心にしこりのように残っていたので、私はその後不妊治療を続けていても、いつも閉経の影に怯えるように、自分に自信が持てないでいたのです。それが、そんな私でも「まだまだいけるかも知れない」って思っただけで、沈みがちな心が晴れ晴れとしてくるようでした。しかし治療再開は、また苦悩への始まりでもありました。一時は、もう一度採卵したいという希望を強く持ちましたが、私の卵巣機能が低下していることは、私自身がよくわかっていることでした。悶々とした中で、やっぱり私には、これ以上治療を続ける気力も、体力もないと悟ったのでした。
振り返ってみますと、不妊という渦の中で、随分ともがいてきたように思います。年齢の壁もあり、焦りもありました。自分のすべてをつぎ込んで、心も体もボロボロになってもやめられず…。
治療さえ続けていれば夢はいつかはかなうと信じて、漢方薬、鍼灸、整体、サプリメントや健康食品と妊娠に効果のありそうなことは、試さずにはいられませんでした。まさに、生活そのものが治療を中心にして回っているようでした。治療中は、治療をやめればこの苦しみから解放されるだろうと思うこともありましたが、治療に終止符を打っても、そう簡単に気持ちの整理ができるものではありませんでした。治療をやめようか、どうしようかと迷い、悩んでいる時にカウンセリングを受けました。その時、カウンセラーの方に言われたのが「自分を認めてあげなさい」「受け入れてあげなさい」という言葉でした。その時は混乱していて、その言葉の意味することが、よく理解できませんでした。しかし、喉に刺さった小骨のように、ずっと気になっていました。時間が経つとともに見えてきたのは、治療中でもがいている時の私は、不妊の自分と戦っていたということでした。不妊ということを認めたくなかったのだと思います。妊娠して、出産すれば、ずっと私を脅かしてきた不妊という敵に勝利するとでも勘違いしていたのかもしれません。でも今は、不妊治療を行なったからこそ見えてきたもの、得られたものがあると気づきました。
子どもには恵まれませんでしたが、私には、治療を見守り、励まし、共に頑張ってきた夫がいます。また不妊治療により、自分自身を見つめ直し、人生を考える機会が与えられたとも思えるようになりました。そしてFineという、不妊の悩み、辛い気持ちをわかち合える仲間の存在が、不妊に苦しんだからこそ出会えたという喜びに変えてくれました。
今私は、不妊だったことを悩むことも、嘆くこともありません。少しずつではありますが、不妊の自分を認めて、受け入れられるようになったと思っています。不妊だった私のことを理解してくれる人がまわりにたくさんいるということが、そういう気持ちに導いてくれたのだと感じています。これからは、今あるものを大切にしながら、自分の生き方を模索していきたいと思っています。
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