不妊について

不妊体験談「ふぁいん・すたいる」

管理職として働き、44歳で妊娠・出産。通院時間の調整に加え、部下の妊娠報告に心が揺れて。
野曽原誉枝さん・自営業

プロフィール大手電気メーカーに勤務し、28歳で会社員の夫と結婚。38歳で不妊治療を始め、タイミング法、人工授精、体外受精・顕微授精を経験。働きながら治療を続け、6年間の治療の末、44歳で出産。その後、退職し、フリーランスでIT系の業務を請け負うとともに、不妊体験者を支援するNPO法人Fineで理事として活動。また、妊娠出産期の女性をサポートする産後ケア活動にも携わる。

38歳からの妊活。フレックス制度をフル活用

電気関係の大手企業で正社員として働き、入社して6年目、28歳で会社員の夫と結婚しました。そのときは子どもを持つことは特に意識しておらず、それよりも目の前にあるキャリアに目を向けていました。マーケティング部門で徐々に仕事を任されるようになり、リーダーという責任のある立場になって、仕事の面白さが増していきました。
結婚から10年、38歳で主任から管理職になりました。自分のキャリアにもなんとなくめどがつき、将来が少し見えてきたとき、夫が「僕は子どもが欲しいと思っている」と言いました。今まで、二人で子どもについてきちんと話し合ったことがなかったので、彼の突然の発言に驚きましたが、「今だったら子どもを持つという選択もあるのかな」と思いました。これがきっかけとなり、妊活をスタート。四つのクリニックで不妊治療を行ない、タイミング法を半年、人工授精を7回、体外受精と顕微授精ではあわせて6回の採卵と9回の胚移植をしました。
一つ目のクリニックでタイミング法と人工授精をしましたが、なかなか妊娠しないので夫の検査をすると「精子の運動率が若干悪い」とのこと。それほど問題はないようで、医師から、治療や改善のアドバイスなどはありませんでした。この頃は、通常の通勤時間よりもかなり早く家を出て、クリニックで早い診察番号を取り、診察を終えて午後から出社する生活でした。
人工授精を7回したところで、医師から体外授精を勧められ、ステップアップしました。無事に採卵でき、受精卵のグレードも良く、期待がふくらみましたが、妊娠しませんでした。体外受精をしたら仕事への影響も少し増えると思っていましたが、実際は想像を超える負担でした。採卵に向けて行なう卵胞チェック(超音波検査)や胚移植後の黄体ホルモン補充の注射など、通院は連日となり、その時間を捻出するのが大変でした。会社のフレックス制度をフル活用しましたが、フレックス利用や休暇取得に前向きな企業だったので、とても助かりました。

両立に疲れて通院を休んだ頃、部下からの妊娠報告

二つ目のクリニックに転院すると、採卵準備のスケジュール管理がとても厳しく、指定された日時に通院するにはフレックス制度や休暇では対応が難しくて、大きなストレスを感じました。治療を継続するのは難しいと思い、体外受精を1回行なって、すぐに転院を決めました。3年間、一気に治療を進めたせいか、治療や通院にストレスを感じていました。そこで半年間、通院を休むことにしました。「休んだら妊娠から遠ざかる」という考えが浮かばないほど、私は仕事と治療を両立する生活に疲れていたのです。
そして、この頃、自分の部下から妊娠の報告を受けました。狭い会議室で部下と二人きり、彼女から望んでいた赤ちゃんを授かったことを伝えられました。「おめでとう」とは言えたものの、ちゃんと笑顔になっているか、上司としてどんな話をしたらいいのか、とても動揺し、やっとのことで話を終えた記憶が今でも残っています。
治療を休んでいたある日、夫の精子の状態について知った知人から「精索静脈瘤の可能性はないの?」と言われ、夫は専門的にみてもらえる泌尿器科を受診しました。すると精索静脈瘤が見つかったのです。治療は投薬か手術でしたが、彼は手術を選びました。「不妊治療は女性だけに負担がかかっている、男性の自分は何もできない」と申し訳ない気持ちがあったそうです。そして「自分ができることは手術しかない」と、治療を決断したと話してくれました。
手術後、精子の運動率は改善しました。医師から「これでいつでも妊娠できます!」と太鼓判をもらい、次の体外受精に期待して、新しいクリニックを受診しました。また、今までの経験から「治療するのは春と秋だけ」と決めました。この時期は精神的に比較的リラックスしていて、季節的にも良いだろうと思ったからです。

44歳で妊娠。両立には病院選びが重要だった

三つ目のクリニックでは顕微授精を勧められ、新しいステージの治療をすることに妊娠への期待が高まりました。1回目は妊娠せず、2回目の顕微授精で陽性反応が出ましたが、残念ながら妊娠8週で?留流産となりました。
そして、44歳。「これが最後」の思いで四つ目のクリニックに転院し、顕微授精にトライ。2回目の採卵でできた凍結胚を移植しました。「結果を聞いたら治療が終わってしまう」と思うと病院に足が向きません。判定日の1週間後に意を決し病院に行くと、なんと妊娠! その後は順調に進み、無事に出産しました。
治療していた6年間は、マーケティング部門という仕事柄、営業活動も多く、取引先との懇親会という名の飲み会も数多くこなしていました。さらに部下の育成もあり、残業が多く、退社が22時を過ぎることもありました。
仕事をしながら不妊治療をするには、私の場合、病院選びが重要でした。私の病院選びの条件は、都内の会社と自宅の通勤経路にあること、診療開始時間が早く、終了時間が比較的遅いところ、ウェブサイトや携帯電話で予約できること、などでした。
体外受精の周期では、卵胞チェックの日は遅い時間に診察予約を取り、受付をした後、診察までの待ち時間に夕食をとり、パソコンで仕事をして、22時過ぎにクリニックを出たことも。また、客先への訪問がある日は、訪問が終わった後にクリニックへ向かい、その後、会社に戻って仕事をするなど、一日に会社とクリニックの往復を繰り返したことが何度もありました。胚移植後の黄体ホルモンの注射は、外出の移動時間を利用してクリニックに立ち寄りました。
業務の関係で私の仕事を他の人にお願いできなかったので、出張の予定が入ると「その日に採卵や胚移植が重なるのではないか」と前日まで緊張が続きました。「仕事をやりくりして苦労して注射に通ったけれど、最悪の場合には採卵をあきらめるしかない」と思っていました。幸い、出張と採卵・胚移植が重なることはなかったのですが、採卵や胚移植の前日や翌日に出張ということは何度かありました。

治療中の薬の副作用。休暇取得と職場の雰囲気

不妊治療中は薬による吐き気やおなかの張りなどの副作用を感じていましたが、仕事をこなすしかありませんでした。胚移植後のホルモン補充の注射でおしりの筋肉が固くなり、職場の椅子に座るのも痛かったのは、治療をする前には想像がつかない苦痛でした。
採卵の日は有給休暇、胚移植の日は半日休暇を取りました。会社は有給休暇の取得を推奨していたこと、休暇のための事前申請が厳しくなかったこと、また職場が休暇を取りやすい雰囲気だったので、比較的スムーズに休むことができました。しかし、そんな雰囲気の良い環境でも突然の休暇を取ったときには、私は申し訳なさでいっぱいになり、上司や部下、同僚には素直に謝りました。
会社での人間関係は比較的良好で、子どもがいない女性に対して、子どもについて聞いてくる人もそう多くはいませんでした。そういう教育が徹底されている企業だったことにも、私は救われたかもしれません。周囲から「かわいそう」「たいへんそう」と思われるのがいやだったので、不妊治療をしていることは、誰にも一切話しませんでした。

不妊・出産、仕事と治療の両立を体験して

38歳での妊活スタートは遅かったかもしれませんが、それが私たち夫婦のタイミングだったのだと思います。ただ、治療に6年もかかるとは思っていませんでした。子どものためにも元気でいなくてはと、夫と自分の健康管理に以前にも増して気を使うようになりました。高齢出産のメリットといえるのは、年齢的に二人目の子どもを考えないので、育児や産後ケアにお金をかけられること。そのおかげで、産後の回復が早かったです。また、仕事や治療との両立で培った調整力は、育児や人間関係にも役立っています。
その後、私は会社を辞めてフリーランスで働くようになり、IT系の業務のほか、不妊体験者や産後の女性を支援する活動にも取り組んでいます。企業にいたときとは違う視点で、社会の問題や課題について考えるようになりました。不妊、妊娠・出産、育児を経験したことは、私の人生や働き方にも思いがけない影響がありました。

(取材・文/高井紀子)

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