36歳で結婚するまで、好きな英語を活かした仕事をし、キャリアを積むことに一生懸命だった私は、「子どもは自然に授かるもの」と信じていました。しかし、半年過ぎても妊娠せず、産婦人科に行くと、ドクターから「原因不明ですが、年齢のこともあるので」と不妊治療専門病院へ行くことをすすめられます。
受診すると、タイミング法、人工授精、体外受精、顕微受精・・・初めて聞く言葉ばかり。不安を感じながらも、「早くしなければ」という焦りと「治療すればきっと授かる」という期待で、ステップアップしていきました。
2回目の対外受精で双子を授かりました。
驚きとともに幸せを感じていた私たち。ちょうど新居へ移転する計画があり、夢を持って子ども部屋を準備しました。
妊娠10週目、ドクターから「一人の子の心音が聞こえない。もう一人いるので頑張って」と言われました。頭の中が真っ白になり、悲しむに悲しめず、次の検診日まで毎日祈る思いでした。
しかし、12週目にドクターから再び「心音が聞こえない」と告げられて・・・。ただただ涙があふれて、看護師さんの胸に顔をうずめて泣きました。
数カ月後、心の傷が癒えないまま、新居に引っ越すと周りは子どもがいる家庭ばかり。春になると入学、進級を繰り返す子どもたちを見ながら、失った子の年齢を数え、自分の環境が何一つ変わらない現実に落ち込み、自分を責めました。
「ママになりたい!」という思いは強くなるばかり。治療を続けるものの結果が出ず、ストレスは溜まる一方。
子どもがいない自分は未熟で、一人前の大人になれないように感じ、孤立感が増して、人とのコミュニケーションがうまくできなくなっていきました。
治療から4年目、再び妊娠。
でもまた悲しい思いを繰り返さないかと不安が大きく、素直に喜ぶことができません。
12週目に「残念ですが・・・」とドクターに言われ、「助けてください!注射してください、薬ください! まだ、つわりもあります!」と必死で懇願。
何もできないことはわかっているのに・・・。
なぜ、こんなにつらいことが起こるのだろう? その中から自分を全て否定された気分でした。しばらくして転院し、そこで「卵子の老化」について聞き、驚きとショックを受けました。
しかし子どもがいない人生を想像したことがなく、あきらめる選択を考えたことがなかった私は、可能性を求めて、またいくら頑張っても思い通りにならない人生をどう受け止めたらいいのか悩みながら、治療を続けていたのです。
周りからの「お子さんは?」「二人だから気楽だね」という言葉に胸を痛め、わかってもらえない孤独感や自分の体をコントロールできない苛立ちを抱え、心から楽しさや幸せを感じることができなくなり、夫との会話も少なくなりました。
でも、ある日、ふと食事中に彼を見たら、下を向いて寂しそうに食べていたのです。
「あ! 私だけがつらいのではないんだ。かれもつらいのに一緒に頑張ってくれている」と感じたのです。
ストレスから体調を崩し、過呼吸になり、原因不明のせきが続くものの、治療中は薬も飲めません。そんな私をみて、夫は「子どもはほしいけれど、もう二人の生活を考えよう。
二人でもいいじゃないか。一緒に頑張ろうよ」と言いました。
悩み苦しんだ末の言葉だと頭ではわかるけれど、心が受け入れられない。
「ここまで頑張ってきたのに、これでいいの?」
そう思うと涙が止まりません。
心の置き場所がわからず、メンタルケアの本を手にしました。そこでストレスから病気を引き起こしたり、体調に異変を起こすことを知り、私は今まで莫大なストレスの貯金をしていたと気がつきます。
そして「二人でもいいじゃないか」という夫の言葉を思い出し、胸のつかえが取れたように感じました。
心のどこかで、長かった治療から解放されかったのかもしれません。
とはいえ、簡単にはけじめがつけられず、あきらめきれない気持ちのまま、やがて治療をフェイドアウトしました。
今、私が思うのは、つらく悲しいときは心に蓋をせず、自分の気持ちをリセットするためにも泣いていい、気持ちを話すことで心が解き放たれたり、整理できることがあるということ。
少し先の将来を具体的に考えてみるといいかもしれません。
ものごとがうまく進まないともっと頑張ろうとしがちですが、もう十分頑張っている自分自身を癒し、ほめることも大切です。不妊治療は自分の気持ちに正直に進めばいいし、人それぞれの幸せがあるはずです。
今の私は、治療で悩んだり苦しむ人が自分の気持ちを素直に吐き出せる場所を作りたいと思い、不妊ピア・カウンセラーとして活動しています。不妊の現実は消えませんが、「明日」は必ずやってきます。だから、つらくても悲しくても前に進んで生きている自分があります。
子どもからプレゼントされた「夫婦二人の時間」を大切にしながら、笑顔と会話が増えた夫との二人の時間を味わって生きようと思っている私です。