不妊について

不妊体験談「ふぁいん・すたいる」

治療を体験して実感した支援される側の気持ち。企業へ向けて不妊治療の理解を深めるため活動中。
永池明日香さん・会社員

プロフィール39歳で同じ年の夫と結婚。同じ頃に子宮筋腫の切除手術を受ける。40歳で不妊検査を受け、41歳で子宮ポリープを切除。タイミング法から治療を開始し、人工授精、体外受精にステップアップ。1年間治療を休み、43歳で治療再開。44歳で治療を終了。勤務先であるシンクタンクのダイバーシティ関連部署にて、コンサルタントとして企業へのダイバーシティ推進や不妊治療と仕事の両立に関する啓発に携わる。

39歳で結婚。子宮筋腫の手術後、治療を開始

子どもが大好きで、自分もいつかは母親になるのだろうと漠然と思っていました。30代前半に子宮筋腫がわかり、39歳で結婚とほぼ同時期に子宮筋腫の切除手術を受けました。医師から「子宮もきれいになったし、特に問題がありそうな所見もなかったから妊娠できると思いますよ」と言われ、自然妊娠できると信じ込んでいました。その後、自分たちでタイミング法を試しましたが妊娠の兆しはなく、妊活を始めて1年が経った頃、自宅と会社の間にある不妊治療専門クリニックを受診しました。
初診で医師に、妊娠率や流産率のグラフを示されながら、年齢的に自然妊娠が難しいことを説明されました。初めて会った医師に「厳しい」と何度も言われ、「若ければこんなことを言われないのに……」と落ち込んで帰りました。また、検査をすると小さい子宮ポリープがあり、着床の障害になっているのではないかと言われ、切除手術を受けました。
当初は、妊娠できると楽観視していたこともあり、「体外受精まではしない」と夫婦で決めて、医師に伝えました。タイミング法を5回、人工授精を5回しましたが、妊娠しないまま時が過ぎ、私は42歳に。夫と相談し、体外受精へのステップアップを決断しました。

職場の支援に感謝しつつ、結果報告がつらい

クリニックの体外受精の説明会に行ったところ、予想以上に通院回数が多いことがわかりました。連日の排卵誘発剤の注射、胚移植後は黄体ホルモンの注射のために毎日通院する必要があります。
私の職場は、企業向けにダイバーシティやワークライフバランスを推進する部署であることから上司の理解があり、不妊治療を始めた頃から治療のことを話していました。職場の理解があるとはいえ、こんなに休んでは業務に支障が出るかもしれないと思い、上司に率直に相談しました。すると「仕事のことはなんとかするから、ぜひやってみたら良いよ」と応援してくれました。ありがたく思うとともに、仕事のスケジュール調整や業務の前倒しなど、自分でも工夫しました。部署のメンバーにスケジュール等を伝え、何かあったときはフォローをしてくれる体制もできました。また、会社はフレックスタイムなので、連日の通院はあったものの、それほど休むことなく通院できました。
職場に言えずに治療をしている人、両立が難しくて退職する人もいる中で、私はとても恵まれた環境だったと思います。一方で、職場に伝えているからこそ、毎回、治療の結果をメンバーに伝えることになります。うまくいかなかった報告が続くと、「皆に協力してもらっているのに申し訳ない」という気持ちになりました。結果にショックを受けているにもかかわらず、落ち込んでいないふりをして報告していました。暗い顔をしてメンバーに気を使わせたくなかったのですが、何ごともなかったように振る舞うのもつらかったのです。
体外受精に進み、採卵を1回、胚移植を3回しましたが、妊娠することなく、凍結卵をすべて戻し終えました。体外受精を始めるときに「治療は42歳まで」と決めていたので、ちょうど良いタイミングだと思い、通院をやめました。しかし、気持ちはなんだかもやもやしています。
そんなときに、『不妊治療のやめどき』(松本亜樹子著)という本に出会いました。そして、NPO法人Fineのおしゃべり会を見つけ、参加しました。そこで他の人の話を聞き、悩んだりもやもやしたりするのは「私だけじゃないんだ」と感じました。「不妊治療はここまで」と決めてもスパッとやめられない、周りの妊娠を以前のように喜べない……など、他の人も感じているのだと知り、安心しました。そこで「無理に治療をやめるのではなく、休むという形もあるのでは」と言われ、少し気が楽になりました。

43歳で治療を再開。そして治療を終結

その後、職場で「不妊治療と仕事の両立」に関する業務のプロジェクトリーダーになりました。当事者である私がこの仕事をする意味、自分自身の治療についてなど、さまざまなことを考えました。「後悔したくない。もう1回くらい治療をやったほうが良いかな?」という思いがありました。
そして、クリニックを変えて、不妊治療を再開しました。43歳での妊娠は厳しいと分かっていながらのトライです。1回採卵し、2回胚移植をしました。転院先は、採卵と胚移植が別の周期のため時間の調整がしやすく、また、排卵誘発剤は自宅で自己注射できたことや胚移植後の通院が少なく、以前よりも通院回数が減って仕事の調整がしやすくなりました。
しかし、治療はうまくいきませんでした。医師からは、年齢のわりにAMHの数値も良いし、卵も採れるので再度チャレンジをすることを勧められましたが、「今回こそ最後」と臨んでいたのと、副作用がつらくて限界だったので、自然と「続けるつもりはありません」と答えていました。子どもを持つことをきっぱりあきらめたわけではないけれど、自分なりに納得して治療をやめることができたと思っています。

体外受精をする場合、職場に伝えないと両立は難しい

自分が治療をして実感したのは「体外受精をする場合、職場に伝えなければ仕事との両立を続けるのは難しい」ということです。人工授精までなら遅刻や早退などでなんとか両立できても、体外受精は通院回数が増え、身体にも負担がかかります。
また、私もそうでしたが、妊活すると「妊娠が人生のすべて」のように感じてしまいがちです。しかし、誰もが子どもを授かれるわけではないため、仕事や趣味など、子どもを持つ以外にもやりがいを見つけることは大事だと思います。だからこそ、不妊治療のために仕事をあきらめないで欲しい、できるだけ仕事を続けながら治療をして欲しいと思っています。
そのためには、治療したいという自分の思いを上司に伝えて、「治療するとこういう支障が出そうだから協力して欲しい」という職場への働きかけや調整するためにコミュニケーションをとる必要があります。一方、職場も当事者が「治療をしたい、している」と言えるような雰囲気になって欲しいと思います。まずは、不妊治療について理解を深めることで、「病気じゃないのになぜ治療するんだ」「昨日も病院へ行ったのに明日も行くのか」「20代なら治療しなくていいだろう」といったプレ・マタニティハラスメントのような発言を避けられるし、当事者も治療していることを言いやすくなるでしょう。また、当事者はできるなら職場に知られたくないという気持ちがある中で、勇気を振り絞って伝えているでしょうから、そこは重く受け止めて欲しいです。

ダイバーシティと不妊治療。当事者として職場への理解を促進

ここ数年、従業員に対する不妊治療の支援制度を導入する企業が徐々に増えています。一方で、仕事で人事担当者と話したり研修をしたりすると、「治療の内容を初めて知った」「こんなに両立が大変だとは」「経済的な負担が大きいことに驚いた」などの感想があり、人事担当でも知らないのだから職場の人たちはもっと知らないだろうと想像します。晩婚化・晩産化で子どもを望んでもなかなか授からなくて不妊治療をする人は、今後も増えるでしょう。若い時期から、不妊は社会課題であり、誰にでも起こりうることだと知っておくこと、そして多くの人が治療していることが世の中に伝われば、当事者が治療をしていることを職場で伝えやすくなると思います。これからは当事者と職場の人、双方が理解し合い、一緒に考えていくようになって欲しいし、そのために自分は何ができるかを考えています。
今まで、仕事でさまざまなダイバーシティについて話してきましたが、私自身は育児や介護の経験はなく、支援される側ではありませんでした。自分が不妊当事者になって、職場環境や人間関係などに「ありがたい」と感謝すると同時に「申し訳ない」と感じている、支援される側の気持ちがよくわかりました。この体験を生かし、仕事を通して「仕事と不妊治療の両立」について、企業への理解促進をしていきたいと思っています。

(取材・文/高井紀子)

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