「不妊」…この言葉を受け入れるまでに、何年かかったでしょうか?
「この人の子どもがほしい。私たちの子どもは、どんな顔で、どんな風に成長して、どんな大人になるのだろう?」そう思った瞬間から、自分にも当然訪れると思っていた、妊娠、出産、育児。
誰もが悩むことなく経験するだろうと思っていたことができない現実に何度涙を流したことでしょう・・・。
私が不妊治療を始めたのは、結婚してから4年くらい経った頃でした。
子どもがなかなかできないと悩み始めた頃、知人に会うたびに「子どもは?」と聞かれ、友人たちからは子どもと一緒に写っている年賀状が次々と届き始めました。
私は、生理周期が28〜30日とキッチリ来るし、生理日数もおかしくなかった。
「あれっ、なんで妊娠しないのだろう? おかしいな? 妊娠しないのだからどこか悪いのかもしれない」。親しい友人たちは、みんな子どもがいるから、「早く子どもを産まないと話が合わなくなってしまう」などと焦ります。
でも、「まだ若いし、子どもができたら二人で出掛けられなくなるから、まだいいよね」なんて自分で自分の気持ちをごまかしていました。
もちろん病院に行くことに抵抗があったこともあり、もう少し、もう少し様子をみようと病院に行くことを引き延ばしてしまい、気がついたら4年も経ってしまったのです。
さすがに結婚して4年が経っても妊娠の兆候がないと「病院に行くしかない!」と思い立ったものの、産婦人科には、妊娠したら行くところと思い込んでいたことと、男の先生だったらイヤだな・・・など、私にはすごく勇気が必要でした。
そこで、女医さんがいる産婦人科がないか探して、通院することにしました。
この病院で、不妊の一般的な検査をしたところ、夫婦ともに特に問題になるような原因は、見つかりませんでした。
「なんだ〜私は、ちゃんと妊娠できる身体じゃん」とホッとひと安心したものの、現実はそんなに甘いものではありませんでした。
今まで妊娠経験がないこともあり、治療は人工授精からスタートしました。
通院を始めた私は、子どもを授かることだけに、とにかく一生懸命になりました。
病院に行き、いきなり「今日ですね」と先生に言われたら「今日ですか…、主人に聞いてみます」と言って、すぐに主人に電話をして「もしもし、今から帰って来られる? 今日あなたが必要みたいなのよ」。そして精液を入れる容器をもらって急いで自宅へ帰る。
帰宅を待って「よろしく〜」と容器を渡して、その容器を受け取ったら、また病院へ向かう。そんなことが2年くらい続きました。
けれども私たちの元には、子どもは来てくれませんでした。
不妊治療は、卵の成長やホルモン値で急に決まるので、午前中だけパートタイムで働いていた私は、通院にはさほど問題ありませんでしたが、主人は仕事の調整が大変だったと思います。
それでも、私たちは、子宝に恵まれるようにと治療に通うだけではなく、縁ある神社や温泉めぐりをして、気を紛らわす時間もたくさん作りました。
また、「とくに原因はないのだから、大丈夫」と意欲だけはあるつもりでした。
治療回数を重ねていくたび、毎回生理が来てリセットという結果で、知らず知らずのうちに心身ともにダメージを受けて、私の気持ちが不妊治療に対して前向きになれなくなっていきました。
先生は「薬の反応いいです。卵胞の大きさもいいです。内膜もいい感じです」と言ってくれますが、「ここが悪い」とは言ってくれない。
お金もかかるし、時間もどんどん過ぎていきます。それなのになぜ私は子どもが授からないの???
不妊治療は、夫と二人の治療だと頭ではわかっているけれど、病院に行くのは私、痛くても気持ち悪くなっても我慢しているのは私。「つらい思いをするのはすべて自分なんだ」という思い込みなどから、その行き場のない思いが抑えきれなくなり、耐えられなくなった私は、「治療をやめたい」と泣きながら主人に言っていました。
今まで、喧嘩して泣いたことはあっても、治療が辛いと泣いたことがなかった私が、このとき初めて治療のことで泣いて訴えたのです。これをきっかけに、夫婦で話し合い、一度も妊娠反応が出ないまま治療を中止することにしました。
その後、不妊治療を2年くらいしていませんでしたが、その間も子どもがほしいという気持ちは消えませんでした。
私は、妊娠・出産にはリスクが高いと思われる年齢の38 歳になっていました。治療をしなければ、きっともう子どもは授からない。
「子どもができる可能性があったのに、やらなかったと後悔する」と思った私は、比較的通院しやすい不妊専門クリニックを選び、治療を再開する決心をしました。
以前治療していた時とは私の仕事も環境も年齢も違っていることもあり、通院を始めてからも悩みはつきませんでした。
・ドクターとのコミュニケーションが取れない。
・急な治療に合わせての欠勤・早退・遅刻と、また病院から指定された時間以外には電話を受け付けてくれないことへのストレス。
・私の年齢的なこともあるのか、治療はうまくいかず、生理周期がおかしくなっていくという体調の変化。
・・・・でした。
だんだん私の中に「この治療は私にあっているの?」「このまま通院していていいの?」と疑問が生まれるようになりました。
不妊治療について誰かと話をしたい、他の人はどうなのか聞いてみたい……でも友人たちは子どもがいるので不妊治療の話をしてもわからない。
このとき、私は不妊について話ができる人がいないと気がつきました。
主人はいろいろ話を聞いてくれますし、協力もしてくれますが病院に行って注射や薬などで治療するのは私で、この薬を飲むとどうなるかなど、不妊治療をしている人と話をしてみたい!そう強く願うようになりました。
そして、どこかに不妊について話ができるところがあればいいなとのぞみ、インターネットで「不妊」と入力して検索してみました。たくさんの不妊関係のサイトの中から、Fineに出会いました。
初めてFineのメンバーに会ったのは、Fineが主催するお花見懇親会でした。
不妊体験者と話がしたいと思ってはいましたが、自分から「不妊です」とハッキリ言えなかった私が、この懇親会に参加したことは、一歩を踏み出す勇気でした。
そして、このときに私は、やっと「不妊」という言葉を受け入れることができました。私は、不妊体験者の人たちに会い、話をしただけで心が軽くなったのです。
仲間がいるとわかったことで、「私はひとりじゃない」って感じたのです。
それまでの私は、普通に他愛ない話をする友人はいても、「不妊」について話せる友人はいませんでした。
Fineとの出会いによってなかなか周りに言う勇気がなかった私が、やっと「私は不妊」と言えるようになったのです。
子どものいる旧友とも一緒に出かけられるようになり、楽しい時間を過ごすことができるようになりました。
今では、不妊を受け入れて心を軽くするきっかけになったFineに、私の経験したことが、何かの役に立つかも知れないと考え活動に参加しています。
子どもは、残念なことにまだ恵まれず、転院して不妊治療を続けています。
私の体調や年齢を理解してくれる信頼できる先生に巡り会え、病院でのストレスが少なくなり、生理周期も体調もよくなりました。
いつも私のことを温かく見守って協力してくれる主人に感謝しながら、仲間たちとのおしゃべりや自分の楽しむ時間を持ちつつ過ごせるようになりました。
今後の不妊治療は、子どもを授かるか、閉経を迎えるまで治療を続けるか、その前にやめるかは、まだわかりません。夫婦で話し合いながら納得する結論を出したいと思います。
子どもができないつらく悲しい人生と悩み苦しんだときとは違い、少しだけ心に余裕ができ、現在は両親との温泉旅行や休日での映画鑑賞など夫婦ともに自分たちの人生を楽しんでいます。