不妊について

不妊体験談「ふぁいん・すたいる」

「不妊治療と周りとの関係」
丹野みどり さん(愛知県在住)
20代からの思いがけない不妊治療

23歳の時に6歳年上の夫と結婚し、生まれ育った奈良県から愛知県へ引っ越しました。

避妊をやめればすぐに妊娠できると思っていたのに、3カ月しても妊娠しません。そんなとき不正出血があり、初めて産婦人科へ。

まだ早いと思い、基本的な検査だけで通院はしませんでした。約1年後、アルバイト先で知り合った人が治療を受けて双子を授かったと話してくれたので、私もその病院に行って見ることに。ドキドキしながら受診すると、先生は「私に任せておけばいい!」と自信たっぷり。くわしい説明もなく次々と検査を指示されます。

ある日「今日、注射打って帰って!」と言われ、「すみません。注射の話は夫にはしていないので、夫と相談してからまた来ます」と逃げ帰るように病院を後にしました。

現在のようにインターネットが普及しておらず、本で情報収集し、次は本に載っていた大学病院を受診。すると「まだ若いので」と検査からスタート。

そんな折、夫の仕事の関係でパソコンを購入し、検索して不妊治療専門クリニックの医師が開設するホームページにたどり着きます。皆が自由に書き込む掲示板を読んだり返信するうちに、いつの間にかたくさんの人と気持ちをわかち合い、掲示板に行くのが日課に。

そこで知り合った人とは、15年以上経った今も交流しています。

住む地域や治療内容、境遇はさまざまでしたが、私は自分が書いたことに返信をもらうことで、精神的に落ち着くことができました。質問すると誰かが「それは◯◯だと思うよ」など、すぐに教えてくれることもありがたかったです。顔が見えなくても励ましてくれる仲間がいることを実感し、「ひとりぼっちじゃないんだ!」と安心しました。

実際に会って、食事をしながら思う存分おしゃべりを楽しんだことも。「幹事になると妊娠する」というジンクスにあやかろうとオフ会の幹事をしたり、仲よくなった数人と旅行したこともあります。

精神的に苦しいとき、支えてくれた友人たち

結婚して地元を離れた私にとって、夫以外に誰とも会って話をしない生活は精神的にきつく、義母からの「変わったこと(妊娠して)ないの?」という毎日の電話が追い打ちをかけます。

「あんたら何してるの? 近所の人からもいろいろ言われたわ」「Aさんもなかなかできんから水天宮さんに行こうと思ったらできたらしいで」など、次第に電話が恐怖に。

また、帰省すると「代わりに行ってきてあげたで!」と子授けのお守りを渡され、夫のいとこの子がかわいいと延々とその話をされたり・・・。夫に泣いて訴え、帰省をやめたこともあります。

アルバイト先では、自分より若い子が妊娠して辞めていき、「子どもが熱を出した」と休む同僚に「子どものいない私が代わりますから、いつでも言ってくださいね」と心にもないことを言ってしまう。

私はいったい何をやっているんだろう・・・・。

そんな精神的に苦しいときでも心の病にならずにすんだのは、友人たちのおかげでした。

大学病院で納得して治療を受けていたものの、担当医の海外留学を機に転院を考えます。

多嚢胞性卵巣だった私は、最後の賭けと思い、卵巣にレーザーで何カ所も穴をあける腹腔鏡手術を受けました。そのあとの妊娠しやすいゴールデン期間はあっという間に過ぎ、どうしようかと掲示板に書き込んだところ、ある総合病院を教えてもらい、家からも通いやすいので転院。

まだ若いからと5年も続けたタイミング療法に区切りをつけ、人工授精にステップアップ。納得いくまで続けたあと、体外受精、顕微受精にトライしました。

採卵した卵が空だったり、受精したものの2匹の精子が入ってしまいダメになったり、予約が取れず体外受精を数カ月待ったことも。

そのたびに友人たちが話しを聞いて、慰めてくれました。

不妊を体験して知った人のやさしさ

妊娠できた周期は、卵巣過剰刺激症候群になり、卵巣がはれ、尿が出なくなり、入院。そこで双子とわかりました。

夫の実家に報告の電話をすると、珍しく義父が出て、「双子を授かりました」と伝えたときの第一声が「薬使ったんか!」。

あのときの何も言えない嫌な気持ちは、10年以上たった今でも忘れることができません。途中で一人の心拍が停止し、その後大量出血し、もう一人も流産しかけて再び入院。

何年も通って授かった大切な命、なんとしても失いたくない!でも、どうすることもできず、「妊娠がゴールではない」と痛感しました。

その後、31歳で無事出産しました。

治療真っ最中の頃は、本当に傷つき落ち込むこともありましたが、気持ちをわかってもらえる友人に恵まれたことは幸運でした。

もちろん、夫婦で話し合うことは大事です。我が家の場合は夫の両親との問題なので、その愚痴を夫には言わない方がいいと思い、彼に話すことはしませんでした。

内容によって誰に話すかを使い分けるのも、ストレスをためない方法の一つだと学びました。

「不妊のせいで」と思いがちですが、私は「不妊のおかげで」人のやさしさをシリ、人には多様な考え方があることを理解できるようになり、何より大切な仲間に出会えました。

不妊に関わる複雑な気持ちをわかち合える友人を、皆さんもぜひ作っていただきたいと思います。

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