不妊について

不妊体験談「ふぁいん・すたいる」

「38歳で治療再開して感じたこと」
はるはる さん(大阪府在住)
流産は私のせい? 自分を責め続けた日々

私は関西在住の、現在41歳で不妊治療をしています。

高校の同級生と9年間の交際を経て、26歳で結婚。数ヶ月後妊娠し、少量の出血があったのですが、医師は「心拍も聴こえたし、家の中での日常生活はだいたいOK」とのことで、仕事を休んで外出を控えていました。

出血がひどくなり病院へ行くと、対応した看護師さんの「普通は絶対安静だけど・・・」という言葉。流産した私は動揺して、その後何年も自分を責め続けることに。

生理がくるたびに落ち込み、親子連れを見ると胸が痛くなり、「どうして私だけが・・・」という思いにかられます。

やがて、時間とともに生理がくるのは当たり前のことになり、でもいつかは子どもができると信じていました。

31歳のとき、私は原付で事故を起こし、全治2カ月のケガを負いました。ベッドの上で「仕事を辞めて子づくりに専念すべき時期じゃないか?」という思いが湧き、退職。

自宅近くの不妊専門クリニックに通い始めます。夏の暑い日、汗をかきながら通った約3カ月、検査をひと通りして、結果は原因不明。「あえていうなら嚢腫(のうしゅ)が3cmほどあるからかも」とドクター。

そして3つの選択肢の説明を受けました。それは、(1)そのまま様子をみる。(2)薬を飲んで卵を複数作りながらタイミング指導や人工授精をする。(3)腹腔鏡検査で子宮内膜症の嚢腫をとる、というもの。

「家族と相談してきます」と答えて席を立ち、その後クリニックへ行けなくなりました。

「薬で卵を増やすって、そんなことして大丈夫なん?」「おかなを切る検査もあるんだ。それは簡単に決められない」「何もしないって選択、それでも妊娠するん?」「次に行ったらどうするか話さないとあかんのか」・・・そんなことが頭を巡って、足を踏み出せなくなったのです。

東日本大震災のあと、通院を再開

38歳になる直前、東日本大震災が起きました。それがきっかけかはわかりませんが、主人が「そろそろ病院に行ってみる?」と言いました。通っていた不妊専門クリニックを7年ぶりに訪ね、まるでスイッチが入ったかのように「1日も無駄にしたくない」と前のめりの治療スタート。

「まずは人工授精を」というドクターの勧めを断り、体外受精を希望。

図書館で不妊に関する本を借り、あちこちのブログを読んで知識を深めました。「年齢的にはちょっと遅いけど、まだぎりぎり大丈夫」と思っていました。

排卵誘発剤をたくさん使う卵巣刺激法で採卵を4回して、受精卵ができたのは最初の1回だけ。前周期の卵が残っていたため何度も治療中止になり、採卵数は徐々に減り、さらに異常受精、変性卵、卵胞内に卵がないなど、治療がうまくいかず、気持ちが空回りしていました。

現状を打破しようと転院を決意。治療費が1.5倍になりそうで、お金が尽きて治療を終える日が早くくるかもしれないけど、年齢は待ってくれない。だから、結果が早く出ることを信じて有名なクリニックへの転院に踏み切ったのです。

新しいクリニックの検査で「卵巣年齢は40代半ば、卵巣を刺激しても採卵数は期待できないから」と自然周期での採卵に方向転換。現在転院して2年半が経とうとしています。

自然周期の場合は、採卵も胚移植も基本的には休み周期が必要ないので、ほぼ毎月治療を続け、ここでは採卵14回、胚移植を8回して、まだ結果は出ていません。

治療で知った夫婦一緒に歩むこと

不妊治療では、今までにない感覚でお金が飛んでいきました。体外受精を初めて1年間は、将来の不安を後ろめたい気持ちをいつも感じていました。そんなとき、主人が「お金のことは考えたって仕方がない、なんとかなる」「使った金額以上のことが返ってくるかもしれないからチャレンジしてるし、もし返ってこなかったら新たなことを考え直したらいい」と言ってくれて、とても救われました。

治療をしていると、夫婦二人で進むことが必要だと感じます。二人で通院したときに私一人が先生と話していると、いつの間にか治療に関する理解の差が大きくなって、「採卵日がいつになるのか、もうわかるだろう?」ということでもめるように。お互い、相手にわかってもらえないと感じ、イライラをぶつけていたのだと思います。それからは、どんな短い診察でも、診察室に一緒に入って話を聞き、わからないことを直接先生に聞くことに。ちょっとしたことの積み重ねと、二人が一緒に歩くことが大事だと感じました。

スタッフとしてFineに参加し、新しいことにチャレンジする中で、自分の止まりかけていた時間がゆっくり流れ始めたのを感じます。

また、マスコミの取材を受けたことで、不妊治療中の自分を客観的に見ることができました。不妊の現状を知って欲しいという思いで受けましたが、一般社会でも不妊や不妊治療が普通のこととして話題にのぼるような世の中になるとうれしいと思っています。

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